基本(きほん)

生産・加工(せいさん・かこう)

人物(じんぶつ)

海苔養殖(のりようしょく)の母(はは)
海苔の一生(いっしょう)を発見(はっけん)したイギリスの学者(がくしゃ)

九州(きゅうしゅう)の有明海(ありあけかい)が一望(いちぼう)できる宇土(うと)(し)の住吉(すみよし)神社(じんじゃ)にドリュー女史(じょし)の碑(ひ)が建(た)てられている。

海苔の養殖(ようしょく)が始(はじ)まった江戸(えど)時代(じだい)から昭和(しょうわ)23年(ねん)まで、海苔が夏(なつ)の間(あいだ)、どんなふうに生長(せいちょう)するのかわからず、海苔の生産(せいさん)(りょう)は年(とし)によって大(おお)きな差(さ)があった。

このため、海苔は運(うん)まかせの「運草(うんぐさ)」とよばれていた。 しかし、昭和(しょうわ)24(1949)年(ねん)、イギリスの女性(じょせい)の海藻学者(かいそうがくしゃ)キャサリン・メアリー・ドリュー(1901〜1957)が、海苔の葉(は)からでた果胞子(かほうし)が貝殻(かいがら)などに入(はい)り、糸状体(しじょうたい)となって夏(なつ)を越(こ)すことを発見(はっけん)

この大発見(だいはっけん)により、運(うん)まかせの天然採描(てんねんさいびょう)から、現在(げんざい)の海苔の糸状体(しじょうたい)を使(つか)った人工採描(じんこうさいびょう)へ変化(へんか)し、安定(あんてい)生産(せいさん)へとつながった。